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感性の磨き方

2013年4月13日

$元気村村長の 心・食・体 ブログ
photo credit: Chris Gin via photopin cc


風鈴の音は日本人には涼しく、外国人にはうるさい。
こおろぎの鳴き声も日本人には風流で、外国人にはうるさい。
というのは良く聞く話ですが
こういう細やかな感性というのものは
体験と経験でしか磨けないものです。


日本は四季がはっきりしていて
自然が季節にそって移り変わっていく様子を
小さい頃から当たり前のように見て育つため
自然と感性が磨かれていきます。


今まで自分が体験してきたこと、
そしてそれによって感じたこと。
その数えきれないほどの感覚が何重にも重なり合って
感性が形作られていきます。


ですから感性とは自分だけのもの。
なぜならば全く同じ経験をしている人なんていませんし
またそれによって感じる感覚も違うわけで。
そして自分自身でさえ、常にこの感性がゆっくりと変化しているはずです。
なぜなら、常に新しい体験と経験が積み重なっているからです。


それが感性を磨くという事。
誰もが人生をかけて取り組む課題が
この「感性」を磨いていくことなのかなと思うのです。


同じものを見たり、体験したりしても
感性という観点で見れば同じ体験というものはなく、
常に新しいというのが「人生」!


冬に向けて黄色く染まった銀杏の葉が風に吹かれて
地に舞い落ちていく。
その同じ風景を10歳の頃に見た時と
20歳の時に見た時と
50歳の時、80歳の時とでは、きっと全然違うはず。


年をとれば肉体は老いていきますが
感性はどんどん、磨かれていきます。
それこそ、若い時には想像もつかなかった
深い世界を感じるようになっていくのでしょう。


年をとったら、どんどん何もできなくなっていく。
体も動かなくなるし、行動範囲も狭くなり、やりたいこともできなくなる。
なんて言う人がいますが、
そんなのは全然お門違いです。


肉体的に老いるというマイナス要因さえ凌駕する
いや、マイナスに感じる要因さえプラスに変えてしまうような要素が
「感性」だと思うのです。


落ち葉一枚に、
自然の摂理、大いなる力、色々な追憶を重ね合わせて涙できるのが、
磨かれた感性の力。


若いころの2泊3日の旅行よりも、食卓いっぱいのごちそうよりも
数えきれない人生の紆余曲折を経て、老齢に見る落ち葉一枚に
それ以上の感動を感じうる力が感性の力だと思うのです。


なので、この感性を磨く生き方って
とても大切だなと思います。
もし何かに「飽きている」とすれば
感性を磨くことを忘れているのかもしれません。


感性を磨くためには
新しい体験をしたり、色々な経験をすることもそうですが
何を体験するという事よりもっと大切なのが
どう感じるか。


自分がどう感じているかという事にフォーカスをしていく事です。


感覚の入り口は五感といわれるように5か所。
視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚とあります。
その五感を使って、フルに感じる事です。


意外と体験していても感じていないことも多いです。
たとえば、テレビを見ながら食事を食べていて
食事という体験を感じているでしょうか?


おなかは満腹になりますが、
料理の味わっているとはいいがたいですよね。


「飽きる」というのはそういう状態に近いと言えます。
体験している、体感しているというよりも
その行為をただ繰り返しているというだけの状態。


毎日の同じような生活の中にも
もっと感じれるものは多いはず。
それに気づいていくのが感性磨きの生活です。


意識してみると生活が変わります。
ちょっと意識して普段の生活をもっと感じてみましょう。
今まで気づかなかったものが見えてくるかもしれません。

バカの6段活用

2013年4月9日

バカの六段活用ってご存知ですか?
ウェザーニュースの創業者である石橋氏の言葉ですが
陥りやすい過ちを「バカ」と一刀両断するメッセージです。
ちょっと紹介させてください。


話を聞かないバカ
考えないバカ
考えても言わないバカ
言っても実行しないバカ
実行してもミスしないバカ
ミスから学ばないバカ


この方、すでに故人ですが
これ以外にも300以上の名言を残していて
社内では今でも語り継がれているとのこと。


その人の思いが言葉として残り、語りづがれて行き
その言葉が語られるところにはその人の思いが常にあるというのは
なんだか素晴らしいなと思います。


それにしてもこの6段活用。
下に行けば行くほどマシなようですが
うーん、私としても耳が痛い言葉ばかりで。


特に5段目、
実行してもミスしないバカ。
これは厳密に言うとミスを恐れるバカということらしいのですが
あえて「ミスをしないバカ」と言い切っている。
これは見事だなと。


ミスをしないバカ。つまりミスをしろという事です。
これは「ミスを恐れない」という事を
恐れという思いのレベルから、
実際にミスをするという実行のレベルまで落として語っているということです。


このマインドの逆転が込められているのが
「ミスをしないバカ」という言葉。


そしてそのミスを拾うのが6段目。
ここで気持よく締めくくられるわけです。


う~む。お見事。


このバカと言い切ってしまうこの思い切りがまた
ある意味気持ち良いというか爽快さを感じます。
自分なんてまだまだバカもんだなと。


よーし、頑張ろ。

新しい可能性の作り方

2013年4月3日

$元気村村長の 心・食・体 ブログ-suteru
photo credit: mallix via photopin cc

何かを新しく始めたり、新しいものを購入したり
新しいことをする時はワクワク誰でもワクワクすると思います。
でもそれと同等に、
いやそれ以上に重要なのは「やめる」「捨てる」という事。


何かと多すぎる時代に私たちは生きています。
情報にしろ、食べ物にしろ、物にしろ
とにかく多すぎる。


現代人の一日の情報量は江戸時代の人の一生分の情報量
とも言われています。
100円で生活備品がある程度揃ってしまうほど物もあふれています。
食べるものも、美味しいものが食べきれない程、どこにでも売っています。


その結果、
多すぎる情報に左右されてふらふらしてしまったり
家中、物が溢れてしまったり
脂肪ばかりが増えてしまったり。


そんな今という時代を私たちは生きています。
うっかりしていると過多の波に飲み込まれてしまいます。
だからこそ、「捨てる」ということが必要になります。


捨てるということには痛みが伴います。


情報を捨てるということは、選別するということ。
自分が要らないと判断した情報を遮断するということが
情報を捨てると同義です。


物を捨てるというのにも
もったいない、まだ使えるし・・・、とっておけばいつかは。
という痛みが伴います。


自分のお腹の余分な脂肪を捨てるのも、大変ですよね・・・


ということは、決めないとやれないということでもあります。
「捨てる」と決めて、切って行かないと
どんどん過多の波に飲まれていきます。


では、ここで捨てるということの考え方を変えてみましょう。
「捨てる」のではなくて
「新しいものが入る空間を作る」と言い換えてみるのです。


物があるということは、その物の分だけ空間を使っているのです。
でも、もしその物を手放すことが出来れば
そこには空間が生まれます。


その空間には、今度何が入るかわかりませんが
空間があるということは常になんでも入ることができるということです。
ということは潜在的に無限の可能性を秘めているということになります。


つまり捨てるということは
それと引き換えに可能性を得るのです。


これはやってみるとわかります。
実際に自分に不要な情報を意図的に遮断してみる。
物も今自分に必要な物以外は全てあげてしまう。


本当にスッキリします。
その事によって生まれた空間に、心ときめきます。


また捨てるということは、選択するということです。
しかし何らかの選ぶ基準が無くては選ぶことはできません。
つまり、捨てるということは
自分の本当に大切にしたいものは何かということと
向き合っていく作業でもあるのです。


捨てることによって、自分を見つけていくのです。


あふれる情報や物に翻弄される生き方から
本当に自分の大切な基準を軸に取捨選択していく人生。


さぁ、自分の身の回りを見回して
今の自分に必要のないものは捨ててみましょう。
いや、新しい空間を創りだしてみましょう。
きっと生活がいきいきと輝きはじめるはずです。

ちょっと深呼吸

2013年2月22日

今日は、私のフェイスブックのウォールに
非常に興味深い記事が流れてきたのでシェアしたいと思います。


~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・


ある寒い1月の朝、
一人の男がワシントンD.C.の駅で座りながらバイオリンを弾き始めました。
彼はバッハの曲を1時間程演奏しました。
その時間帯は通勤ラッシュだったため、
約1100人がその男の前を通りました。


3分後、ある中年の男は
バイオリンを弾いている人がいると気づき足を止めました。
しかし、結局止まったのはほんの僅かな時間で、
数秒後にはその場を離れました。


1分後、バイオリニストは
やっとお金を稼ぐことができました。
ある女性がケースに1ドル札を投げ入れましたが、
彼女は止まることなく歩き続けました。


少しした後、
壁に寄りかかって彼の音楽を聴く者が現れましたが、
腕時計を見るとすぐに歩き始めました。
会社に遅刻しそうだったのです。


一番彼の音楽が気になったのは、
3歳の男の子でした。


彼のお母さんは急いでいて、男の子の腕を強く引っ張りました。
それでも男の子はバイオリニストを聞こうと足を止めます。
お母さんは男の子の背中を強く押し、無理やり歩かせました。
それでも男の子はずっと後ろのバイオリニストを見ながら去って行きました。


他の子供も同様でしたが、
親は全員例外なく止まることなくその場を去りました。


彼が演奏した一時間内で、
足を止めて彼のバイオリンを聞いたのはたった6人でした。
お金を入れてくれたのは20人程でしたが、
止まった人は誰もいませんで した。


稼いだお金はたったの32ドル。


彼が演奏をやめ、駅が沈黙に包まれた時、
気付いた人は誰一人いません。
拍手はなく、このバイオリニストを認める人はいなかったのです。


バイオリニストの名前はジョシュア・ベル。
彼は世界で最も才能のあるミュージシャンの一人です。
彼はたった今、歴史に残る傑作を演奏したのです。
それも3億円のバイオリンを使って。


彼の駅での演奏の二日前、
彼のボストンでのコンサートのチケットは、
一枚一万円するものの全て売り切れました。


これは実際にあった話です。
ジョシュア・ベルが素性を明かさず行ったこの演奏は、
人々の視覚・嗜好・優先順位を研究するための実験として
ワシントン・ポスト紙によって行われました。


私たちは本当に「美しさ」を理解しているのだろうか?


それをちゃんと足を止めて味わっているのだろうか?


予想していない状況でも、才能を感じ取ることはできるのだろうか?


一つ結論として言えるのは、
もし私達は世界で最も才能のあるミュージシャンが、
歴史上一番の傑作を演奏してさえ気付かないのであれば、
私達は他にもきっと多くの「美しいもの」を見過ごしているのではないか?


~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・


どう思いましたか?
色々な示唆を与えてくれる、深い記事だと思います。


もし、自分が同じ実験をされていたとしたら
気が付いていたと思いますか?


現代社会の生活は情報の多さで言うと
毎日が通勤ラッシュのような人生です。
インターネット、テレビ、新聞、ラジオ
まるで洪水のように情報の波の中でもまれて生きている私達です。


その情報の洪水におぼれないように
自然と人はその情報の中から自分が求めている物、
そして優先度の高いものだけを意識の中に留めています。


つまりその自分の意識の網に引っ掛からなかった情報は
その情報に触れていても流れていきます。
それが世界最高の芸術家の演奏であったとしても・・・


でも、一度足を止めて、
自分にとって本当に価値のあるものってなんなんだろうと
考えてみるということも大切かもしれません。


私の好きな歌に
「ちょっと深呼吸」という歌があります。
これはNHK教育テレビで放送されている子供向け番組の
オープニングに流れる歌なのですが、
これを聞くとちょっとスピードを落として、
周りをゆっくり見まわしてみようかという気持ちになります。


歌詞を紹介しますね。


「ちょっと深呼吸」

はしっても あるいても
地球のスピードは おなじです

あせっても のんびりでも
ちゃんと あしたは くるんです

いそぐときほど くちぶえふこう
かなしいときほど にっこりえがお
フックブックロー

しあわせは いつも うしろから
フックブックロー

おいついてくるよ だからここらで
そよかぜを あおぞらを
ちょっと深呼吸


メロディもとてもいいので
お時間がある方は是非こちららから。
一分ほどです。


フックブックロー OP 投稿者 matui2


きっと私たちの周りには
たくさんの美しいものが溢れているのでしょう。
それをゆっくりと感じることのできる感性を忘れずに
生きていきたいものです。


だからここらでそよかぜを、青空を。
ちょっと深呼吸。

欠点の存在価値

2012年7月12日

photo:Lumen Christi by Eustaquio Santimano




最近読んでいた本で、自分の欠点を魅力に変えるという意味で
ものすごく納得のいく表現をしているものがあったので
ご紹介したいと思います。


初めてログハウスの模型を作った時の事。
うまく組めずにあちこち隙間だらけの作品になってしまいました。
でも、その欠点を隠そうとしても隠しきれない。


では発想を変えて、隠すのではなく活してみよう。
でもどうやって?


「中に明かりを入れて部屋の電気を消してください。」


すると欠点だと思っていた隙間から暖かい光が漏れ、
周囲をやさしく照らしだしました。
欠点が一瞬にしてその作品を美しく引き立てる個性に変わってしまったのです。


人においても同じように欠点や傷がいくらたくさんあっても、
それらはそこから漏れる明かりによって自分を美しく引き立てる個性になりうるのです。
そう、内側に明かりを灯すことで。


「君と会えたから」 喜多川泰著
一部要約抜粋、編集して紹介させてもらいました。


私自身、自分の隙間からほとばしる光をイメージした時に
そしてこのログハウスのイメージと重ね合わせた時に
自分のすべての欠点は個性にも魅力にもなりうるのだと
イメージで、そして感情で納得できました。


そしてこの内側から外側にもれる光とは
自分の意識のベクトルのことだなと。


自分が自分の欠点を見つめている時は
他人が見たらこの欠点をどうみるか、どのように評価されているかを心配している状態です。
つまり、意識のベクトルが他人の目から自分に向かっている状態。
どう見られているのかが気になって一生懸命欠点を隠そうとしている状態です。


でも、そのベクトルを逆に向けてみるとどうでしょう。
相手のために何が出来るか。
自分の周りの人に、自分がどんなことをしてあげれるだろうか。


そうです。
意識のベクトルが自分から回りに向かっている状態。
つまり、光が自分のなかから相手を照らしている状態です。
そういう意識になった時に自分の欠点だとか、欠点を隠すだとかいう発想がわくでしょうか?


そんなこと、どうでも良くなっちゃうわけです。
相手の欠点や不足をいかに補ってあげるかと言うことを考えていると
自分の欠点に気を回す暇が無くなってしまうのでしょう。
すると、いつの間にか誰かが自分の欠点を埋めてくれている。


もしみんなが完璧な人間で1つも欠点が無いとしたら・・・
助け合ったり協力したり出来る部分が無くなりますよね。
自分だけで完結してしまう。


でもそれはそれで少し寂しくはないでしょうか。


自分に足りない部分があるから、足りている人から助けてもらえる。
そのことに感謝できる。
相手に足りない部分があるから自分の足りている部分で不足を埋めてあげることができる。


欠点は嘆いたり隠す為の物ではなく、
埋めてあげる為、埋めてもらう為に存在しているのではないかと思うのです。
そこに自分一人では得る事の出来ない喜びが生まれます。
そう考えると欠点って実はとっても素敵な物ですね。


これがマイナス(欠点)の本当の存在価値ではないでしょうか。

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