思いの温度
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2013年4月20日
photo credit: Vélocia via photopin cc
サッカー選手の本田圭佑がこういう言葉を残してます。
「願ったことに対してできひんかったら言い訳はせずに
自分の願いが弱かったと、自分の情熱が弱かったと、
それを僕は理由にするべきだと思います。
人のせいにするわけでもなく
状況のせいにするわけでもなく
もっとやれたんじゃないかと。」
なかなか深い言葉だなぁと思いました。
自分が願っているのに実現していないことがもしあるとすれば
まず自問すべきことは
「自分はそれを本当に願っているのかどうか」
願い、思いには温度があるのだと思います。
自分が「やりたい」と思っているその事が何度くらいの温度なのか。
同じやりたいでも30℃かもしれないし80℃かもしれない。
水が100℃の沸点を超えると水蒸気になってしまうように
願いも沸点を超えると現実になってしまう。
沸点を越えるというのは水が水蒸気に変わるというよりも
水が水のままではいられなくなってしまうということ。
思いも似たようなもので
沸点を超えると思いのままではいられなくなるのでしょう。
水と水蒸気が形は違えど同じH2Oのように
思いと現実も、形が違うだけで本質は同じものなのかもしれません。
50℃の水に、水蒸気になれ!!と念じても無理ですよね。
それが本田選手の言葉にもあるように
願いが実現しなかったらそれは自分の情熱が弱かったと。
情の熱。心の温度ですもんね。
あともう一つ。
水は100度で沸騰するので100度が沸点ですが、
この沸点を下げる方法があります。
それは気圧を下げること。
地上より気圧の低い山の頂上でお湯を沸かすと、
100℃になる前に沸騰してしまいます。
では願いの温度の沸点が下がる環境とは?
これは、私が思うに
自分の願いと同じ事を願っている人や
自分の願いを応援してくれる人が周りにいる環境ではないかと思います。
そんな人が多ければ多いほど
沸点はどんどん下がって
思いの現実化が加速するのではないかと。
つまり願いの沸点を下げるためには
自分の願いを語る、伝えるということが必要。
なぜって、願いを明確に言葉にして外にアウトプットすることで
その願いに同調する人が集まってくるのですから。
自分の願いが何なのか、
本当に願っているのか、その願いは今何度くらいなのか。
一度立ち止まって向き合って見ることも大切かもしれませんね。