自由を手にする魔法の質問
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2013年3月2日
photo credit: Marco Bellucci via photopin cc
今日は
それはだれのせい?というお話です。
今、あなたは自分の生きている現実に満足していますか?
それとも、不満足ですか?
幸せですか?満ち足りていますか?
それとも、何かに後悔していたり、物足りなさを感じていたりしますか?
夢を叶えましたか?
夢に至る道を歩んでいますか?
夢を捨て現実に甘んじていますか?
どうでしょう。
一言で答えるのは難しい問いです。
ある側面では夢を実現して満足しているが
別の一面、まだ満ち足りていないことも多い。
そんな人も多いかもしれません。
また、昔はあれもこれも目指していたが
現実に厳しさに妥協して、今はなんとなく生きている。
そんな人もいるかもしれません。
それは誰のせいでしょう?
それは誰の責任でしょう?
ここである書籍の一節を紹介させてください。
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君は自分の人生に100%の責任を持っているか、と私に尋ねた。
「そう思います」と私は答えた。
「答えはイエスかノーかだよ、君。責任をとっているのか、いないのか」
「自分でもよくわかりません」
「これまで、自分を取りまく環境を人のせいにしたことは?
何かに文句を言ったことはあるか?」
「たぶん・・・あると思います」
「たぶんではない。あるのか、ないのか」
「あります」
「ということは、君は自分の人生に
100%の責任を持っていないということだ。
100%責任をとるというのは、
自分に降りかかることはすべて自分が作り出したものと認めることだ。
これまで経験してきたことのすべての原因が自分にあると理解することだ。
本気で成功したいと思っているなら、もちろんそう思っているだろうが、
人を責めたり不平をこぼしたりせず
自分の人生の責任はすべて自分でとることだ。
つまり結果はすべて、成功も失敗も君次第ということになる。
これは成功するための絶対条件だ。いいかい、ジャック。
今この状況を作り出したのは自分だということがわかれば自分の意思で、
消し去ることも、作りなおすこともできる。わかるね?
自分の人生を責任を100%取る気になったかい?」
「わかりました!責任をとります!」
そして私はその通りに実践した。
ジャック・キャンフィールド(こころのチキンスープ共著者)
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この内容を、ある信頼する人から教えてもらい、
目から鱗が落ちる思いでした。
今、うまく行っていること、うまく行ってないこと、
嬉しいこと、悩んでいること
全てひっくるめてそれは誰のせいか?
そう聞かれた時に、はじめ私は素直に自分の責任だと思いました。
しかしです。
「これまで、自分を取りまく環境を人のせいにしたことは?
何かに文句を言ったことはあるか?」
そう聞かれた時に、ありませんと答えることはできませんでした。
自分の中の言い訳や、環境や周囲の人に対しての不満。
自分の心の中を見透かされたような思いでした。
たたみかけるようにこう言われるわけです。
「ということは、君は自分の人生に
100%の責任を持っていないということだ。
100%責任をとるというのは、
自分に降りかかることはすべて自分が作り出したものと認めることだ。
これまで経験してきたことのすべての原因が自分にあると理解することだ。」
自分は、自分の人生は自分が責任を持っていると思い込んでいましたが
実際は本当の意味で100%は責任をもっていなかったということに
気付かされたのです。
そしてその次のメッセージに救われます。
「今この状況を作り出したのは自分だということがわかれば
自分の意思で、消し去ることも、作りなおすこともできる。わかるね?
自分の人生を責任を100%取る気になったかい?」
現実をコントロールする主導権を100%握るためには
現実の100%の責任をとる覚悟が必要。
つまり「責任」とは重たく苦しい荷物ではなく
空に自由に飛びたつ為の翼なのです。
今まで不満に思ったことや、誰かのせいでと思っていたことを
書きだしてみて、
それは本当は誰のせい?と問い直し見てました。
その答えに、自分責任と答えられた時に
それだったら、もっとこうすればいいよね。
こういうこともできるよね。
と、その問題を解消するためのたくさんの選択肢が見えて来ました。
責任を負えば負うほど自由になり
責任を放棄すればするほど不自由になる。
私たちはいつでも自由になれる。
自分を縛り付けているのは自分自身だったということです。
100人いれば100種類の人生があり
何が正しい、何が間違っている、そんな答えはありません。
夢を叶えた人生も、夢を諦めた人生も、
夢を持てなかった人生も、等しく尊い人生であることに変わりはありません。
でもその人生は誰のせい?
その問いに正しい答えを導き出せた人だけが
限りなく自由な人生を手に入れることができるのでしょう。